箴言十 1〜32

今日は、箴言十 1〜32です。


箴言はことわざや格言のようなものです。


昔、聖書は教科書や法律や医学など


あらゆる面で活用されていたそうです。


今でも法律として活用されていたりもします。


人が子供に教えるように、神様は子供である


私たちに、まっすぐ生きて欲しいと思います。


神様は、子供たちからの応答を待っています。


どんな事でも、語りかけて下さい。




「ソロモンの箴言。知恵ある子は父を喜ばせ、 愚かな子は母の悲しみとなる。 不義の宝は益なく、 正義は人を救い出して、死を免れさせる。 主は正しい人を飢えさせず、 悪しき者の欲望をくじかれる。 手を動かすことを怠る者は貧しくなり、 勤め働く者の手は富を得る。 夏のうちに集める者は賢い子であり、 刈入れの時に眠る者は恥をきたらせる子である。 正しい者のこうべには祝福があり、 悪しき者の口は暴虐を隠す。 正しい者の名はほめられ、 悪しき者の名は朽ちる。 心のさとき者は戒めを受ける、 むだ口をたたく愚かな者は滅ぼされる。 まっすぐに歩む者の歩みは安全である、 しかし、その道を曲げる者は災にあう。 目で、めくばせする者は憂いをおこし、 あからさまに、戒める者は平和をきたらせる。 正しい者の口は命の泉である、 悪しき者の口は暴虐を隠す。 憎しみは、争いを起し、 愛はすべてのとがをおおう。 さとき者のくちびるには知恵があり、 知恵のない者の背にはむちがある。 知恵ある者は知識をたくわえる、 愚かな者のむだ口は、今にも滅びをきたらせる。 富める者の宝は、その堅き城であり、 貧しい者の乏しきは、その滅びである。 正しい者の受ける賃銀は命に導き、 悪しき者の利得は罪に至る。 教訓を守る者は命の道にあり、 懲らしめを捨てる者は道をふみ迷う。 憎しみを隠す者には偽りのくちびるがあり、 そしりを口に出す者は愚かな者である。 言葉が多ければ、とがを免れない、 自分のくちびるを制する者は知恵がある。 正しい者の舌は精銀である、 悪しき者の心は価値が少ない。 正しい者のくちびるは多くの人を養い、 愚かな者は知恵がなくて死ぬ。 主の祝福は人を富ませる、 主はこれになんの悲しみをも加えない。 愚かな者は、戯れ事のように悪を行う、 さとき人には賢い行いが楽しみである。 悪しき者の恐れることは自分に来り、 正しい者の願うことは与えられる。 あらしが通りすぎる時、 悪しき者は、もはや、いなくなり、 正しい者は永久に堅く立てられる。 なまけ者は、これをつかわす者にとっては、 酢が歯をいため、煙が目を悩ますようなものだ。 主を恐れることは人の命の日を多くする、 悪しき者の年は縮められる。 正しい者の望みは喜びに終り、 悪しき者の望みは絶える。 主は、まっすぐに歩む者には城であり、 悪を行う者には滅びである。 正しい者はいつまでも動かされることはない、 悪しき者は、地に住むことができない。 正しい者の口は知恵をいだし、偽りの舌は抜かれる。 正しい者のくちびるは喜ばるべきことをわきまえ、 悪しき者の口は偽りを語る。」

‭‭箴言‬ ‭10:1-32‬ ‭口語訳‬‬

https://www.bible.com/1820/pro.10.1-32.口語訳



天のお父様感謝致します。


恵みと信仰を与えてくださり感謝致します。


どうか、まだ神様の愛に気づいていない方が


あなたからの愛と恵みを受け取る事が


できますように。あなたからの精霊を


送ってください。全ての人に御霊が


賜りますように、主イエスキリスト様の


御名によってお祈りいたします。


アーメン

歴代史下 七章1〜22

今日は、歴代史下七章1〜22です。


ソロモンが神殿を建設した時の話です。


今から、三千年前の話です。


「ソロモンが祈り終ったとき、天から火が下って燔祭と犠牲を焼き、主の栄光が宮に満ちた。 主の栄光が主の宮に満ちたので、祭司たちは主の宮に、はいることができなかった。 イスラエルの人々はみな火が下ったのを見、また主の栄光が宮に臨んだのを見て、敷石の上で地にひれ伏して拝し、主に感謝して言った、 「主は恵みふかく、 そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」。 そして王と民は皆主の前に犠牲をささげた。 ソロモン王のささげた犠牲は、牛二万二千頭、羊十二万頭であった。こうして王と民は皆神の宮をささげた。 祭司はその持ち場に立ち、レビびとも主の楽器をとって立った。その楽器はダビデ王が主に感謝するために造ったもので、ダビデが彼らの手によってさんびをささげるとき、「そのいつくしみは、とこしえに絶えることがない」ととなえさせたものである。祭司は彼らの前でラッパを吹き、すべてのイスラエルびとは立っていた。 ソロモンはまた主の宮の前にある庭の中を聖別し、その所で、燔祭と酬恩祭のあぶらをささげた。これはソロモンが造った青銅の祭壇が、その燔祭と素祭とあぶらとを載せるに足りなかったからである。 その時ソロモンは七日の間祭を行った。ハマテの入口からエジプトの川に至るまでのすべてのイスラエルびとが彼と共にあり、非常に大きな会衆であった。 そして八日目に聖会を開いた。彼らは七日の間、祭壇奉献の礼を行い、七日の間祭を行ったが、 七月二十三日に至ってソロモンは民をその天幕に帰らせた。皆主がダビデ、ソロモンおよびその民イスラエルに施された恵みのために喜び、かつ心に楽しんで去った。 こうしてソロモンは主の家と王の家とを造り終えた。すなわち彼は主の家と自分の家について、しようと計画したすべての事を首尾よくなし遂げた。 時に主は夜ソロモンに現れて言われた、「わたしはあなたの祈を聞き、この所をわたしのために選んで、犠牲をささげる家とした。 わたしが天を閉じて雨をなくし、またはわたしがいなごに命じて地の物を食わせ、または疫病を民の中に送るとき、 わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。 今この所にささげられる祈にわたしの目を開き、耳を傾ける。 今わたしはわたしの名をながくここにとどめるために、この宮を選び、かつ聖別した。わたしの目とわたしの心は常にここにある。 あなたがもし父ダビデの歩んだようにわたしの前に歩み、わたしが命じたとおりにすべて行って、わたしの定めとおきてとを守るならば、 わたしはあなたの父ダビデに契約して『イスラエルを治める人はあなたに欠けることがない』と言ったとおりに、あなたの王の位を堅くする。 しかし、あなたがたがもし翻って、わたしがあなたがたの前に置いた定めと戒めとを捨て、行って他の神々に仕え、それを拝むならば、 わたしはあなたがたをわたしの与えた地から抜き去り、またわたしの名のために聖別したこの宮をわたしの前から投げ捨てて、もろもろの民のうちにことわざとし、笑い草とする。 またこの宮は高いけれども、ついには、そのかたわらを過ぎる者は皆驚いて、『何ゆえ主はこの地と、この宮とにこのようにされたのか』と言うであろう。 その時、人々は答えて『彼らはその先祖たちをエジプトの地から導き出した彼らの神、主を捨てて、他の神々につき従い、それを拝み、それに仕えたために、主はこのすべての災を彼らの上に下したのである』と言うであろう」。」

‭‭歴代誌下‬ ‭7:1-22‬ ‭口語訳‬‬

https://www.bible.com/1820/2ch.7.1-22.口語訳



天のお父様感謝致します。


あなたは、求める者の祈りを聞いてくださいます


あなたの業は、全て私たちの益になる事を


私たちは、知っています。あなたからの


恵を受け取り益々信仰に導かれますように


主イエスキリスト様の御名によって


お祈りいたします。アーメン

箴言十五篇

今日は、箴言十五篇です。

箴言はことわざのような物なので

誰にでも適用できますね。


「柔らかい答は憤りをとどめ、 激しい言葉は怒りをひきおこす。 知恵ある者の舌は知識をわかち与え、 愚かな者の口は愚かを吐き出す。 主の目はどこにでもあって、 悪人と善人とを見張っている。 優しい舌は命の木である、 乱暴な言葉は魂を傷つける。 愚かな者は父の教訓を軽んじる、 戒めを守る者は賢い者である。 正しい者の家には多くの宝がある、 悪しき者の所得には煩いがある。 知恵ある者のくちびるは知識をひろめる、 愚かな者の心はそうでない。 悪しき者の供え物は主に憎まれ、 正しい者の祈は彼に喜ばれる。 悪しき者の道は主に憎まれ、 正義を求める者は彼に愛せられる。 道を捨てる者には、きびしい懲らしめがあり、 戒めを憎む者は死に至る。 陰府と滅びとは主の目の前にあり、 人の心はなおさらである。 あざける者は戒められることを好まない、 また知恵ある者に近づかない。 心に楽しみがあれば顔色も喜ばしい、 心に憂いがあれば気はふさぐ。 さとき者の心は知識をたずね、 愚かな者の口は愚かさを食物とする。 悩んでいる者の日々はことごとくつらく、 心の楽しい人は常に宴会をもつ。 少しの物を所有して主を恐れるのは、 多くの宝をもって苦労するのにまさる。 野菜を食べて互に愛するのは、 肥えた牛を食べて互に憎むのにまさる。 憤りやすい者は争いをおこし、 怒りをおそくする者は争いをとどめる。 なまけ者の道には、いばらがはえしげり、 正しい者の道は平らかである。 知恵ある子は父を喜ばせる、 愚かな人はその母を軽んじる。 無知な者は愚かなことを喜び、 さとき者はまっすぐに歩む。 相はかることがなければ、計画は破れる、 はかる者が多ければ、それは必ず成る。 人は口から出る好ましい答によって喜びを得る、 時にかなった言葉は、いかにも良いものだ。 知恵ある人の道は上って命に至る、 こうしてその人は下にある陰府を離れる。 主は高ぶる者の家を滅ぼし、 やもめの地境を定められる。 悪人の計りごとは主に憎まれ、 潔白な人の言葉は彼に喜ばれる。 不正な利をむさぼる者はその家を煩わせる、 まいないを憎む者は生きながらえる。 正しい者の心は答えるべきことを考える、 悪しき者の口は悪を吐き出す。 主は悪しき者に遠ざかり、正しい者の祈を聞かれる。 目の光は心を喜ばせ、 よい知らせは骨を潤す。 ためになる戒めを聞く耳をもつ者は、 知恵ある者の中にとどまる。 教訓を捨てる者はおのれの命を軽んじ、 戒めを重んじる者は悟りを得る。 主を恐れることは知恵の教訓である、 謙遜は、栄誉に先だつ。」

‭‭箴言‬ ‭15:1-33‬ ‭口語訳‬‬

https://www.bible.com/1820/pro.15.1-33.口語訳



天のお父様感謝致します。


愛と恵を感謝致します。


あなたの御言葉に聞き従う事が


救いの道だと世界中の人々が知り


救われる者がもっと増えますように


今このような歴史に残るような事が


起きていますが、どうかこの先も


どんな困難からも逃れる事が出来るように


お守りください。今困難にあっている


方々にも、癒しと救いがもたらされ


ますように、主イエスキリスト様の


御名によってお祈りいたします。


アーメン



ペテロ第一の手紙三章1〜22

今日は、ペテロ第一の手紙三章1〜22です。



「同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、 あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。 あなたがたは、髪を編み、金の飾りをつけ、服装をととのえるような外面の飾りではなく、 かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。 むかし、神を仰ぎ望んでいた聖なる女たちも、このように身を飾って、その夫に仕えたのである。 たとえば、サラはアブラハムに仕えて、彼を主と呼んだ。あなたがたも、何事にもおびえ臆することなく善を行えば、サラの娘たちとなるのである。 夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、いのちの恵みを共どもに受け継ぐ者として、尊びなさい。それは、あなたがたの祈が妨げられないためである。 最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。 悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。 「いのちを愛し、 さいわいな日々を過ごそうと願う人は、 舌を制して悪を言わず、 くちびるを閉じて偽りを語らず、 悪を避けて善を行い、 平和を求めて、これを追え。 主の目は義人たちに注がれ、 主の耳は彼らの祈にかたむく。 しかし主の御顔は、悪を行う者に対して向かう」。 そこで、もしあなたがたが善に熱心であれば、だれが、あなたがたに危害を加えようか。 しかし、万一義のために苦しむようなことがあっても、あなたがたはさいわいである。彼らを恐れたり、心を乱したりしてはならない。 ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。

また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。 しかし、やさしく、慎み深く、明らかな良心をもって、弁明しなさい。そうすれば、あなたがたがキリストにあって営んでいる良い生活をそしる人々も、そのようにののしったことを恥じいるであろう。 善をおこなって苦しむことは――それが神の御旨であれば――悪をおこなって苦しむよりも、まさっている。 キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。 こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。 これらの霊というのは、むかしノアの箱舟が造られていた間、神が寛容をもって待っておられたのに従わなかった者どものことである。その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずかに八名だけであった。 この水はバブテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることである。 キリストは天に上って神の右に座し、天使たちともろもろの権威、権力を従えておられるのである。」

‭‭ペテロの第一の手紙‬ ‭3:1-22‬ ‭口語訳‬‬

https://www.bible.com/1820/1pe.3.1-22.口語訳



天のお父様感謝致します。


救いと恵を与えてくださり感謝致します。


今、この地上では疫病が蔓延しており


病や生活に不安をかかえている方が多くいます


あなたの御言葉でたくさんの方が救われます


ように、あなたを信じ皆が強く信仰をもち


新しく聖なる者に生まれかわる


事が出来ますように


私たちを聖めお導きください。


世界の状態が以前よりも良い状態に


なりますように。


主イエスキリスト様の御名によって


お祈りいたします。アーメン


ハバクク書三章1〜19

今日は、ハバクク書三章1〜19です。

旧約聖書の中でも短い書ですが、

内容はとても大事な預言書で、終末に

ついて書かれている書です。



「シギヨノテの調べによる、 預言者ハバククの祈。 主よ、わたしはあなたのことを聞きました。 主よ、わたしはあなたのみわざを見て恐れます。 この年のうちにこれを新たにし、 この年のうちにこれを知らせてください。 怒る時にもあわれみを思いおこしてください。 神はテマンからこられ、 聖者はパランの山からこられた。 その栄光は天をおおい、 そのさんびは地に満ちた。〔セラ その輝きは光のようであり、 その光は彼の手からほとばしる。 かしこにその力を隠す。 疫病はその前に行き、熱病はその後に従う。 彼は立って、地をはかり、 彼は見て、諸国民をおののかせられる。 とこしえの山は散らされ、永遠の丘は沈む。 彼の道は昔のとおりである。 わたしが見ると、クシャンの天幕に悩みがあり、 ミデアンの国の幕は震う。 主よ、あなたが馬に乗り、 勝利の戦車に乗られる時、 あなたは川に向かって怒られるのか。 川に向かって憤られるのか。 あるいは海に向かって立腹されるのか。 あなたの弓は取り出された。 矢は、弦につがえられた。〔セラ あなたは川をもって地を裂かれた。 山々はあなたを見て震い、 荒れ狂う水は流れいで、 淵は声を出して、その手を高くあげた。 飛び行くあなたの矢の光のために、 電光のようにきらめく、あなたのやりのために、 日も月もそのすみかに立ち止まった。 あなたは憤って地を行きめぐり、 怒って諸国民を踏みつけられた。 あなたはあなたの民を救うため、 あなたの油そそいだ者を救うために出て行かれた。 あなたは悪しき者の頭を砕き、 彼を腰から首まで裸にされた。〔セラ あなたはあなたのやりで将軍の首を刺しとおされた。 彼らはわたしを散らそうとして、 つむじ風のように来、 貧しい者をひそかに、のみ滅ぼすことを楽しみとした。 あなたはあなたの馬を使って、 海と大水のさかまくところを踏みつけられた。 わたしは聞いて、わたしのからだはわななき、 わたしのくちびるはその声を聞いて震える。 腐れはわたしの骨に入り、 わたしの歩みは、わたしの下によろめく。 わたしはわれわれに攻め寄せる民の上に 悩みの日の臨むのを静かに待とう。 いちじくの木は花咲かず、 ぶどうの木は実らず、 オリブの木の産はむなしくなり、 田畑は食物を生ぜず、 おりには羊が絶え、 牛舎には牛がいなくなる。 しかし、わたしは主によって楽しみ、 わが救の神によって喜ぶ。 主なる神はわたしの力であって、 わたしの足を雌じかの足のようにし、 わたしに高い所を歩ませられる。 これを琴に合わせ、 聖歌隊の指揮者によって歌わせる。」

‭‭ハバクク書‬ ‭3:1-19‬ ‭口語訳‬‬

https://www.bible.com/1820/hab.3.1-19.口語訳



天のお父様感謝致します。


あなたを信じ愛することを覚えさせて


くださり感謝致します。


私たちは、目に見えないあなたを御霊に


感じる事が出来、喜びを感じる事が出来ます


ありがとうございます。


感謝して主イエスキリスト様の御名によって


お祈り致します。アーメン



詩篇一

今日は、詩篇一篇です。詩篇は全部で150篇あり


ます。ほとんどがダビデダビデをに関する


内容だそうです。



「悪しき者のはかりごとに歩まず、 罪びとの道に立たず、 あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。 このような人は主のおきてをよろこび、 昼も夜もそのおきてを思う。 このような人は流れのほとりに植えられた木の 時が来ると実を結び、 その葉もしぼまないように、 そのなすところは皆栄える。 悪しき者はそうでない、 風の吹き去るもみがらのようだ。 それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。 罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。 主は正しい者の道を知られる。 しかし、悪しき者の道は滅びる。」

‭‭詩篇‬ ‭1:1-6‬ ‭口語訳‬‬

https://www.bible.com/1820/psa.1.1-6.口語訳


天のお父様感謝致します。


あなたを信じて求める事の重大さを


教えてくださり感謝致します。


ダビデは、神様を恐れ敬い感謝しながら


あなたを賛美する歌をたくさん作りました。


私たちにも、もっと深い信仰をお与え


ください。感謝して主イエスキリスト様の


御名によってお祈り致します。アーメン

コリント人への第二手紙三章1〜18

今日は、コリント人への第二の手紙

三章1〜18です。



「わたしたちは、またもや、自己推薦をし始めているのだろうか。それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた、あるいは、あなたがたからの推薦状が必要なのだろうか。 わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである。それは、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読まれている。 そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。 こうした確信を、わたしたちはキリストにより神に対していだいている。 もちろん、自分自身で事を定める力が自分にある、と言うのではない。わたしたちのこうした力は、神からきている。 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。 もし石に彫りつけた文字による死の務が栄光のうちに行われ、そのためイスラエルの子らは、モーセの顔の消え去るべき栄光のゆえに、その顔を見つめることができなかったとすれば、 まして霊の務は、はるかに栄光あるものではなかろうか。 もし罪を宣告する務が栄光あるものだとすれば、義を宣告する務は、はるかに栄光に満ちたものである。 そして、すでに栄光を受けたものも、この場合、はるかにまさった栄光のまえに、その栄光を失ったのである。 もし消え去るべきものが栄光をもって現れたのなら、まして永存すべきものは、もっと栄光のあるべきものである。 こうした望みをいだいているので、わたしたちは思いきって大胆に語り、 そしてモーセが、消え去っていくものの最後をイスラエルの子らに見られまいとして、顔におおいをかけたようなことはしない。 実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、その同じおおいが取り去られないままで残っている。それは、キリストにあってはじめて取り除かれるのである。 今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。 しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。 主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。 わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」

‭‭コリント人への第二の手紙‬ ‭3:1-18‬ ‭口語訳‬‬

https://www.bible.com/1820/2co.3.1-18.口語訳


ユダヤ人には、古くから伝えられている


教えがあり、ユダヤの神様を信じているため


エス様が現れた時にも、その聖書に書かれて


いるお方がイエス様だと認めたくなかった為、


使徒たちの教えを拒み、異端扱いしていました。


エス様による新しい約束は、愛で満ちて


います。どうかこの福音がもっと広まり


ますように。天のお父様感謝致します。


福音を知らせ私たちが救われるように


道を与えてくださいました。


感謝して主イエスキリスト様の御名に


よって感謝してお祈りいたします。


アーメン