ルカの福音書[6]39〜 盲人の手引きのたとえ

今日は前回の続きです。


盲人の手引きの喩えです。


39イエスはまた一つのたとえを話された。


「いったい、盲人に盲人の手引きができる


でしょうか。ふたりとも穴に落ち込まない


でしょうか。40弟子は師以上には出られません。


しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師


ぐらいにはなるのです。41あなたは、兄弟の目に


あるちりが見えながら、どうして自分の目に


ある梁には気がつかないのですか。42自分の


目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、


『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください』


と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から


梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の


目のちりがはっきり見えて、取りのけることが


できるのです。43悪い実を結ぶ良い木はないし、


良い実を結ぶ悪い木もありません。


44木はどれでも、その実によってわかる


ものです。いばらからいちじくは取れず、


野ばらからぶどうを集めることはできません。


45良い人は、その心の良い倉から良い物をだし、


悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。


なぜなら人の口は、心に満ちているものを


話すからです。46なぜ、わたしを『主よ、主よ』


と呼びながら、わたしの言うことを行わない


のですか。47わたしのもとに来て、わたしの


ことばを聞き、それを行う人たちがどんな人に


似ているか、あなたがたに示しましょう。


48その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に


土台を据えて、それから家を建てた人に


似ています。洪水になり、川の水がその家に


押し寄せたときも、しっかり建てられていた


から、びくともしませんでした。49聞いても


実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた


人に似ています。川の水が押し寄せると、家は


一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどい


ものとなりました。」




この文章は、新改訳から抜粋しましたが、


ちりと梁のところが、日本聖書協会


フランシスコ会の聖書では、おが屑と


丸太と訳されていました。丸太の方が


想像するのには、分かりやすかったです。


エス自身のことも、色々なたとえで


教えられていますね。土台の石やぶどうの木、


花婿や羊飼いにもたとえられています。


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主イエスを信じることで私たちも成長し


良い実をつけることができるのですね。


天のお父様感謝いたします。


主イエスを信じ汚れも清めていただき


良い実をつける、良い木に成長しますように


恵みを与えて下さい。


主イエスキリストの御名によって


お祈りいたします。アーメン